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〜砥石のくずを原料に〜 ■ 古くからの焼き物の産地 砥部 ■ 砥部の盆地では、山裾の傾斜が窯の立地に適し、燃料となる豊富な木材がたやすく手に入ったため、古くより焼き物が焼かれていました。県立運動公園へ入る道の南北に残る大下田古墳(おおげたこふん)からは6−7世紀の須恵器の窯跡が、いくつも発見されています。 ■ 砥石の産地として名高かった砥部 ■ 奈良・平安時代から、砥部・外山の砥石山から切り出される砥石は、「伊予砥」と呼ばれ、中央にもその名は知られていました。東大寺の「正倉院文書」には、観世菩薩像造立の料に、「伊予の砥」を用いたことが記されています。また、平安時代編纂の「延嘉式」にも伊予国産物として、「外山産砥石」を随用するとの記録が残されています。 ■ 砥石の「くず」が磁器になる ■ 江戸時代、砥部は大洲藩に属しており、伊予砥の生産も盛んに行われていました。一方砥石の切出しの際に出る砥石屑の処理は大変な重労働でした。その作業には御替地(伊予市)の村人が動員されていましたが、その負担があまりに大きかったため、村人たちはその動員の免除を大洲藩に願い出ました(砥石屑捨夫事件)。 ■ 数え切れない試行錯誤 ■ 成功までの道のりは決して楽なものではありませんでした。 |
<子持高杯>
<砥石山> |
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